禅・マクロビオティック
桜沢如一はこれを広めるべく1929年に渡仏、1960年代に渡米して、弟子の久司道夫らとともに「禅・マクロビオティック」と唱えて普及した。アメリカの宗教学者によればニューエイジ運動の推進的なものの一つに数えられる。
海外での展開と逆輸入
1950年代、久司がアメリカでマクロビオティックを広めようとした頃は、当時の栄養学と矛盾していることから大きな反発があったという。1967年に、 JAMAは、抑圧的なマクロビオティック食養法に固執することによって引き起こされる壊血病と栄養失調に関する詳細な報告書を刊行した。1971年にも、米国医師会の食品栄養委員会は、食養法の実践者、特に厳格な実践を行っている者は、栄養失調の重大な危機に直面しているとしている。政府によって禁止措置がとられたこともあったが、久司が風土を考慮し再構築したマクロビオティックを広めていったことで1970年代以降に政府や栄養学会に受け入れられるようになったとされる。
当初アメリカでは、東洋思想への関心から久司らのもとに集まったヒッピー達と共に日本のマクロビオティックの食事を日本語の呼び名で広めていった。 1977年には、従来の欧米型食生活が生活習慣病の増加をもたらしているとの反省から「アメリカの食事目標(マクガバン・レポート)」(肉や牛乳の摂取が癌を促進するとされる大規模な疫学調査結果と実験結果)が打ち出され、それを機に伝統的な和食への関心が高まり、同時にマクロビオティックの考え方も見直されるようになった。この食事目標の作成にあたって委員会のリーダであるジョージ・マクガヴァンや原案をまとめたハーバード大学のヘグステッドも久司らと話し合いを行ったとされるが、同報告には久司らの名前もマクロビオティックについても記述がない。
久司はマクロビオティックが大きく受け入れられた象徴的なイベントとして、ハーバード大学が主催しWHO(世界保健機関)がバックアップした国際栄養学会の晩餐に食事をつくることが要請されたとしている。
こうした久司道夫を中心とする地道な活動が徐々に広がり、マクロビオティックが人々の食生活を改善した功績は国際社会に高く評価され、1999年には久司道夫が日本人として初めてアメリカ国立歴史博物館であるスミソニアン博物館に殿堂入りを果たす。
アメリカではザ・リッツ・カールトンホテルで採用されたり、育児書で有名なスポック博士や前副大統領のアル・ゴア、ハリウッドスターなど著名人にも実践者がいるとされる。
国内では、近年になって歌手のマドンナや、トム・クルーズらが愛好家として雑誌等で紹介され、注目され始めた。そして、健康食ブームに伴って、カフェができたり、ムックなどの各種出版物が刊行されたりするなど、注目が集まった。2005年には、日本経済新聞で1947〜1957年生まれの女性の1割以上が実践していると報道された。
2007年の世界がん研究基金の報告では、マクロビオティックはがんの発症を少なくさせると報告している。長年マクロビオティックを実践していた久司夫人は癌によって死亡した。